2007年06月10日

硫黄島からの手紙

はっきり言って駄作である。
日本兵が灼熱の地熱の中、ゲリラ戦を用いて徹底抗戦した生々しい様が描かれていない。
ストーリー展開も、何ら隆起のあるものではなし、感動を煽るものでもない。

しかし、アメリカ人監督がとったとは思えないほど、米兵がchickenとして描かれ、日本兵がrespectされているのは、日本での興行成績をねらったものとはいえ驚きだ。
また、日米両国の民度の高さが、このような映画を世に送り出す下地になっているのだろうことは確実であり、また平和が、このような悲惨な悲劇を再発しないよう啓蒙する映画を許容することができているのだと確信している。

このような日帝の映画は、日本人監督が撮るということは、周辺諸国に配慮することを考慮すると、避けることが現実的にもっとも確実な解となる。
人間は忘れっぽい生き物なので、このような過去の人類の悲劇の記憶を再確認する機会を提供するという上で、貴重な存在となる。
日本人がこのような映画を撮ることが現実的でない昨今、海外の監督がこのような具現化を実現してくれることに対し、感謝の意を表せねばならない。

この映画は、自らの意志とは裏腹に、非望の死を遂げなければならなかった英霊の貢献を再確認するという意義におけるだけで、存在意義がある。
我々は、たとえば靖国神社という象徴通して、過去の貢献に対して最大限のリスペクトを表明しなければならない。

世界的な規模での紛争が過去70年間にわたって勃発していないことを鑑みると、我々は人類史上もっとも栄華を享受している世代の人間なのかもしれない。
未来の人類を考慮しない化石燃料の多大な消費や、それによる環境破壊、また大量の国債問題など、未来の人類や日本人に対して多大な損失を生み出し、問題を先送りするという犠牲の下に、史上最高とも推定できる文明社会を享受していることを忘れてはならない。
我々は、無駄な紛争や論争、自殺などといった無下な行為を回避し、より高い次元で生きることを責務としなければならない。