2004年08月28日

オリンピックと行き過ぎたナショナリズム

「金メダルとった人が偉い。だから必ずしもオリンピックで日本を応援しない。」っていう考えを、ニーツオルグの人が語っている

これに関しては、フローラン・ダバディさんが常々仰っている博愛主義に近いのではないだろうか。
ダバディさんは、中国、慶重でのアジアカップでのブーイング事件に際して、「ナショナルチーム同士の対戦は廃止したほうがいい」とblogで発言していた。
ナショナリズムを排した、より俯瞰的な視点。

あんまり深く語るつもりは毛頭無いので短い考察だけれど。

ナショナリズムの揺動は、一致したベクトルを向くことにより衝突を回避すること目的とした、各個人の無意識な恣意性によるものでしょうし、ナショナリズムが衝突回避の一役を担っているのは明確でしょう。。
その揺動に流されやすいか否か、乗りやすいか否かの程度が各個人の温度差に直結するわけだが、その温度が高い人が揺動作戦をとるテレビ番組を見るということは一つ言えることだと思う。

近い将来、より所得に差が出てくるようになると、企業も広告を打ちたいターゲット所得層に対しクリティカルに攻めるようになると予測されるため、テレビ中継も多様化してくると思われる。
ナショナリズムを煽り絶叫する中継と、インテリジェンスな解説を付与した落ち着いた解説とか。

それに関しては、所得だけじゃなくて、気分にもよるところが大きいと思うが。
しっとりじっくりみたい気分の時もあれば、酒飲んで仲間と騒ぎまくりたい気分の時もあるし。

そういう意味で、今回のアテネオリンピックは興味深い。
同時刻に複数チャンネルで同一競技を放送していたのだが、地上波やBS1で放送される解説と、BS-Hiで放送される解説に差があったからだ。
民放の実況解説をうるさいと感じる人はBS-Hiへ、BS-Hiではおもしろみがないと感じる人は地上波へ、移動した人もいるのではないか。
画面こそIOCの作成した国際放送で一致していたが、若干毛色の異なる解説をオンデマンドで選べるのは良い傾向だ。

多チャンネル時代の実況解説は、各個人によるオンデマンドな「取捨選択」だろうと思う。


ちなみに、ニーツオルグのさやわかさんのネットラジオを以前たまたま聴いたのですが、「W(ダブルユー)」のアルバム「デュオU&U」について、オリジナル曲との差異とか、つんくのアレンジが愚直とかという話題で、オリジナル曲を全く知らない僕にはとても面白いラジオでした。
あの時はありがとうございました。



さて、アテネオリンピックついでにもう一つ。

水泳のシンクロナイズドスイミングは、技術や努力や指導は満点だけど、選曲があかんと思う。
いや、スペインがフラメンコを選曲してくるとか、ロシアもロシア民謡ぽいオーケストレーションしてくるとか、割と国の特色ある曲を選曲する傾向はわかるので、太鼓とか和風の笛とかで曲を作ってくるのは別に悪い訳じゃないけど。
採点競技なので、点数は出ないよね。

なぜなら、採点している人の中心は、欧米人だから。
例えば、団体のテクニカルルーティーンでは、欧米が3カ国、その他が2カ国。

だから、和風な曲を持って行っても採点者には(さらに言えば会場の観客にも)亜種としか受け止められないので、演技云々の前に、曲を聞いた段階で拒否反応があると思うのだ。

やはり、クラシック音楽に小さな頃から親しんでいる欧米の採点者。
最後に「どかーん!!」と盛り上がって終わるようなクラシック音楽を使われれば、反射的に「ブラーバ!!」と拍手するようにインプットされているだろうが。
反面、太鼓や笛だけだと、演技終了時に「え、終わったの?」という感じで、感動に浸りづらい。
だから、最後にどかーんとくるような、チャイコフスキーの交響曲第5番みたいな曲を採用すればいいと思う。

だからといって、日本色を一切廃せよ!と言いたいわけではない。
もちろん、日本をイメージできるようなメロディーがあれば、選手も乗ってくるだろうし、日本を国際的にアピールすることを要望する人(役人とか)もいるだろう。

日本が金メダルを取れるとしたら、一つ。
和風の音階をベースとしたクラシック音楽を、池辺晋一郎先生のような人に書いてもらえばいい。
NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」のテーマ曲とか、見事だと思う。
N響アワーで笑えないダジャレ言って、壇ふみに冷めた目で見られているだけのおじさんではないんだよね。

いや、作曲依頼にいくらかかるのかは知らないけど。
強化費として曲にお金を掛けるのは、悪くないと思うな。

そういう意味では、シドニーの「火の鳥」が現実的には過去一番金メダルに近かったのだと思う。

次の北京では、こういう傾向で行って欲しいな。
あ、そうか、北京か。
北京じゃクラシック音楽持って行っても観客には受けないかな。

こう書くと、「採点するのは採点者で観客は関係ない」と主張される方もいるかもしれない。
でも、採点競技では、意外と観客の声援は見方にしなくてはいけないからね。
男子体操個人鉄棒のネモフ選手(ロシア)の演技・採点の一連の流れを見ると、観客は無視できないと正直に思う。

ということで、その次のパリかニューヨークかでは、そういう曲を選曲すると金メダルとれると思うぞ。

2004年08月27日

CD棚によるSNS

以前のエントリで、本棚をさらしてみたから、CD棚もさらしてみようか。

過去のエントリでも書いたんだけど、「Last.fm」でソーシャルネットワーキング(SNS)が可能。
僕の登録曲がようやく100曲に達し、その傾向に近いメンバーを抽出してくれるようになった。
300曲に達すると、趣向にあったラジオを自動的に生成してくれるということなので、楽しみである。

また同様、最近SNSのキヌガサと提携した「音ログ」も、所有している音楽を公開し、SNS化する。
が、SNS化は未実装で、ユーザが聴いている曲を表示するにとどまっているようだ。
ただ、聴いている曲からその曲が収録されているCDを推測することのできる確度はLasf.fmより圧倒的に優れているので、そのアルゴリズムを生かした将来の発展は楽しみである。
まだ、立ち上がったばかりだから。「音ログ」は。

さて、こういった、今聴いている音楽情報を他人と共有することは、今に始まったことではなくて、多くの方がご存じのように「Now Playing」といった今聴いている曲をWebに公開するツールも以前から公開されている。

ただ、これらはプレイヤーがリアルタイムで流している曲を情報源とするところから派生しているので、CD棚全体のCDを公開するには向いていない。
棚全体を公開するには、プレイヤーで全ての曲を流さないと行けないので、結局時間がかかる。

なので、CD棚を一括公開してしまおうと思う。

興味のあるかたはこちらから

そもそも、SNSでもないのにわざわざWebにCD棚をさらす意味など全然無い、といわれれば意味の無い行動だけれど。

これを実現するのは簡単で、iTunesからエクスポートした曲リストを、「秀丸」か何かでUnicodeをShift-JISかなにかにエンコードし、「iTunes XHTML Playlist」で、XHTML化すると、Webブラウザで読める。

「iTunes XHTML Playlist」以外にも、同様のスクリプトを公開しているサイトは他にもあるが、これがいちばん楽みたい。

また、Bookmarkletを使用すれば、簡単なソートも出来るようになるが、あまり使えないかもしれない。
「Sort This Table」をクリックしてもらえれば良い。

ちなみに、PCで音楽を聴くときは、WinampとかMUSICMATCH Jukeboxとかも試してみたが、僕にいちばんしっくり来たのは「iTunes」だったので、これを使っています。

2004年08月13日

インストールいろいろ。

<Hotmail Popper>
MSN HotmailをPOP/SMTP経由のMUAで使用。
3.0以降および最新版はシェアウェア化しているので、フリー版の2.1.1をここから手に入れる。日本語化パッチもある。

<wema>
Webベースのポストイットツール。
こういうのは便利です。
こちらから。

<Opera7.54>
脆弱性のフィックス。
以前と同様、7.53日本語版をインストール後、7.54英語版を上書きインストール。
今日初めて知ったことだが、こちらで気に入ったスキンをクリックするだけで、スキンを反映することが出来るのには驚いた。

<Web経由RSSリーダ>
CNET記事によるとRSSリーダはWebベースが主流らしい。BloglinesReadOne等。試しにBloglinesを使ってみたが、複数の場所から利用できるので便利。ローカルのRSSリーダからWebベースのものに移行しようかな。

2004年08月06日

物のソーシャルネットワーキング、パーソナライズ

個人の趣味や趣向にあった物の情報提示を行うパーソナライズ。
個人の趣味や趣向を元に、似通った属性の登録メンバーを提示するソーシャルネットワーキング。
個人が所有する物を基準とした、個人属性としてはよりミクロな情報をソーシャルネットワークの対象とすると、本と音楽CDが大きな基準となる。

本のパーソナライズはAmazonが既に実用化しており、顧客のサイト内のリンクをたどる状況をトレース(追跡)し、顧客が欲しいと思われる情報を提示して新たな購買への提案をしている。
ただし、本を通じたソーシャルネットワーキングは存在しなかったため、増井俊之氏は「本棚.org」を構築した。
こちらは、情報開示がオープンで誰でも情報を参照できる。

音楽CDはやはりAmazonがパーソナライズを実用化しているが、近年Apple Music Storeの台頭などによりネットワークによる購入が増加傾向にあり、無視できないシェアを占めている。
しかし、Amazonはネットワーク経由での音楽購入までパーソナライズの対象には出来ていない。
そういった対象まで含むサービスが世に全く無いかといわれればそうでもなく、HotWired記事によると、「Lasf.fm」がソーシャルネットワーキングとパーソナライズを兼ね合わせたサービスを行っている。
情報開示はサービス登録者間でのみ行われる。

双方とも、特定の本・曲を選択すると、それらを保持しているユーザが一覧表示され、似通った趣味の人をピックアウトしてくれる。

人や物ではなく、個人の趣向が反映される巡回サイトを単位として考えると、はてなアンテナがそれらの役割を満たしている。
「おとなりアンテナ」は、個人のソーシャルネットワーキング。
「おすすめページ」は、個人へのパーソナライズ。
「おとなりページ」は、サイトのソーシャルネットワーキング。

このように、所有という概念から逸脱した人と物の中間のようなサイトを対象とすると、ソーシャルネットワーキングとパーソナライズは、その先に人がいるかいないか、人がいると捉えるかいないと捉えるかの差でしかない非常に似通った概念であることが顕著に把握できる。


他にも、こんなものを個人の趣向の判断基準とすると、ソーシャルなりパーソナライズなりが面白い方向に行くかもしれない。
・RDIF取得先
・参加メーリングリスト
・参加ネットニュース
・購読メールマガジン
・購読雑誌
・洋服(RFID)

書籍や音楽CDは電子化されていく一方で、その他の物にはRFIDがついていくようになるわけで、よりソーシャルネットワーキングやパーソナライズが進んだ世の中になると、盗聴器ならぬRFID盗集器が社会問題化するんだろうな。
RFIDのセキュリティ問題に関しては、日経サイエンス5月号かなんかに詳しく書いてあったな。
そういう時代になると、以下のような情報は一般に公開しづらくなるのだろうか。

私の「・・・」 / KazLogの「・・・」。
kazumichiの「本棚.org」
kazumichiの「Last.fm」(Last.fm登録者のみ閲覧可)
kazumichiの「はてなアンテナ」
kazumichiの「おとなりアンテナ」
kazumichiへの「おすすめページ」
KazLogの「おとなりページ」

2004年08月04日

「冷静なる対応を & メディアとblog & アジア杯決勝進出」

1.サッカーアジアカップの中国サポーターのブーイングについて
2.blogのメディアとしての可能性
3.今日のバーレーン戦

今日は以上の3本でお送りします。

<1.サッカーアジアカップの中国サポーターのブーイングについて>

まず、今回のアジアカップの中国ファンのブーイングについて。

「ブーイングがけしからん」という考えの人が、少なからずいるみたいだけど。
あのね、みんな感情的になりすぎだよ。

AsiaCupの公式Webサイトに、ジーコ監督がその件について言及した記事が載っているので、一部にはある可能性は否定できない。
しかし、”本当に”それほどひどいブーイングがなされているの?
仮にあったとしても感情論に発展するのはクレバーじゃない。

10数年前のペレストロイカや東西ドイツ統一以降の再編により、共産主義国家がもはやほとんど無くなった現状とはいえ、それまでは共産主義は台頭していたわけで、その筆頭にいた中国が第2次世界大戦での甚大な被害から日本を敵視した教育を行っていたことなんて自明でしょ。
しかも、今回試合が行われているのは内陸の済南と重慶。
上海とか香港のような資本主義が導入されて久しい都市化された都市で、今回のようなブーイングを受けたのなら、「あれ?意外と遅れてるんだな。」と思うかもしれない。
が、地方の都市で近代的な教育が行われている訳ないでしょ。
そういう状況下で、一部の人が感情的にブーイングしたとしても不思議はない。

今回の会場が、上海や香港とはだいぶ離れている場所であることが、地図からもわかる。(中国まるごと百科事典より)

感情的なブーイングを行っている中国人は、おそらくごく一部だ。
そんな一部の人間と、歩調を合わせる必要はない。
さらに、注目を集めたいだけの画一的で揺動的な日本の遅れたメディアとも、歩調を合わせる必要はない。
冷静に、冷静に。
次は北京で開催国中国との対戦なので、今大会最大のブーイングを受けるだろうけど。
冷静に、冷静に。
川口能活選手みたいに、厳しい状況でも笑みを見せるくらいの余裕があっても良いのではないかと思うのです。

こういう政治的議論をスポーツに持ち込みたくはないな。
そう考えると、ダバディさんの博愛主義的、コスモポリタン的主張は、「国家を単位とした国際試合の廃止」という少々過激と受け取られてもおかしくない面があるとはいえ、一つの解決策であり理想郷である事は間違いない。

その理想郷に近づくためには、一人の人間が数カ国語を喋ることが必要だろう。
国家単位を廃した試合を行おうとすると、現状より多様な選手同士で共にチームを作り上げなければならない。
これは国際的に活躍する選手は皆習得しているのだが、大事なのはサポーターの言語習得だ。
建設的な応援をするためには、サポーター同士のコミュニケーションは無視できないのだ。
十数年後には、自然翻訳機が開発されると推測されるが、それまでは実現しないだろう。

国家単位での試合を廃止せずに、ナショナリズムを排する現実的な解決法として、一人一人が感情論に押し流されず、情報を整理・選択して受け止めることが重要だ。
スポーツとナショナリズムとの癒着を排斥するためには最も効果的だと思うし、今すぐにでも誰にでも出来る。

この流れから行くと、新聞社等の会社が文責を持つことが主流のメディアの現状から、ライター各自が文責を持つ状況へとシフトしていくと良い。
Web上のスポーツ関係だったら、スポーツ新聞各紙の情報を尊重するのではなく、NumberWeb等の情報を尊重するということ。
会社が責任を持った文章は、誤信の場合の責任の所在がはっきりしないため、恣意的な記事が紙面を踊る危険性がある。
しかし、個人名が記載されている記事は、ライター個人の責任となるため、ライターも容易に揺動的主張は出来ないだろう。
ま、ライター業にはゴーストライターという言葉もあるくらいだから、100%無責任な記事が無くなるとは言い難いが。

とにかく、一人一人の冷静に情報を扱う能力の進化が重要だと思うのです。





<2.blogのメディアとしての可能性>

さて、今回のブーイングの件で、blogのメディアとしての可能性に気づかされたことについて。

6月25日、ココログを運営するニフティの古河社長の元をダバディさんが訪れたときの様子を記述した古河社長のblogエントリがこちらにある。
ここを読むと、ダバディさんが古河社長に以下のように熱弁していたそうだ。


「ココログのパワーはすごいものがある。メディアの世界にも大きなインパクトを与えるのではないか。」
「必ず、ココログ革命が起き、本当のジャーナリズムが戻ってくる。」

これを最初に読んだとき、blogがメディアになり得るわけがないと思った。
なぜなら、世の多くのジャーナリズムに関連したblogエントリは、新聞社の発信する情報を一次情報元として採用し、それに関して意見を述べているからだ。
従って、一次情報が増えるわけでもなく、ジャーナリズムにはなり得ないと考えていた。

しかし、今回のAsia Cupで、ダバディさんが中国の現地からのエントリを公開した
そう、日本のメディアが報告したのとは全く違った視点から、現場の情報をエントリとして公開したのだ。
反日感情を話題にしているメディアとは対照的に、そのような現象は感じなかったとのこと。
複数のソースから情報を扱うことの重要性だけでも、これに勝るものはない。
画一的メディアに流される危険性が大いに薄れるのだ。
さらに、顔が見える信頼できる人からの情報はこの上なく大きい。
(確か上記リンクの他、もう一つ関連したエントリがあったはずなんだけど、見つからない。)

このようなエントリは、「現地に取材に行っているから可能なことで、私たちにとっては関係ないこと」だと思っている方もいるだろう。
しかし、そうでもない。
以下は、最近話題のライブドアについて、僕が今日気づいたこと。

ライブドアからWebブラウザ「Opera」がようやく正式リリースされました。 ゴタゴタはありましたが、トランスウェアからの譲渡によりライブドアに移ったとされるOperaの、譲渡後初リリース。
そこで、気になったのが、「ダウンロード」ページの「試用版」という記述。
Operaは、広告が出てサポートが受けられないデフォルトの場合無料なわけで、それは既に「正式版」であり「試用版」とは意味が違う。
これも、「これは試用版だから、いずれお金払ってね」っていう、ライブドアの戦略なんでしょうか。
ちなみに、試用という言葉の定義は、手元の広辞苑によると「ためしに用いること」。
少なくとも、適切な情報公開ではないし、一般的な認識から乖離しているので、誤解を生む可能性があります。
本家はおろか、トランスウェア時代にも、このような不適切な記述はありません。
ライブドアも、記述が不適切だという指摘を受けるであろう事は、当然既に認識した上でサイトに記述したのであろうが、会社の信頼性の面で懐疑的な面が否めない。

このような不適切な状況に対するつっこみは、おそらく誰しも日々の生活でそれぞれ気づくことであり、また誰しも発信できる立場にあるのだ。
小さな事かもしれないが、各自がそれぞれ気づいたつっこみを発信することにより、これもジャーナリズムの一つとしてのストリームとなる気がしてならない。

もっとわかりやすい例で行くと、日本著作権協会JASRACに対する疑問がこちらのエントリで議論になっている。(部長の東京日記経由)
これも、問題提起という点ではジャーナリズムのメインストリームである。

このように、Blogは、多角的に物事を捉えるために、大きな力となる可能性を秘めている。
これまでの新聞社による一方的な情報に左右されなくて良い、というよりは、それらの情報を見極める手助けをしたり、より多くの問題を提起し議論するための大きなツールとなるといった方が適切か。

blogを含むインターネットが、我々の世界をより俯瞰的に見てたり、問題を解決する方向に進んで行くためのツールとして、これからも大いに期待できる。




<3.今日のバーレーン戦>

さて、最後の話題として、今日の試合。
Asia Cup 2004 準決勝。
延長4−3で、バーレーンを苦しみつつも撃破。

まず、日本のシュート精度の限界が露呈した。
少なくとも、前半、玉田・鈴木・中村・中沢の4人がそれぞれ決定機をはずしている。
そのうち1つでも決まっていれば楽に勝てただろうし、2つ決まっていたら遠藤の退場はなかったかもしれない。
前半のチャンスを生かせなかったのは、苦戦を呼んだ最大の要因。

そもそも日本は、ディフェンディングチャンピオンであることだし、中村・川口を擁しているだけで、日本はアジアでは一つ抜けている状況なのは明確だ。
欧州で活躍している選手を擁しているチームで、国内にプロリーグが存在する国は、全く持って多くない。
本来、アジアでは敵無しのはずなのだ。
その上、今日の相手は中盤での寄せも緩いし、DFも玉際が甘い。
これほど苦戦を強いられる相手ではない。

さらに審判のレベルが低い。
前半はスタジアムの空気に完全に飲まれてる。
準決勝なのに、東南アジアにはこんな審判しかいないのか、ひどすぎる。
東アジアと中東アジアの対決なので、中立として東南アジアの審判を起用したのだろうが、準決勝レベルまで来たらそういう慣習は取っ払ったほうがいい。
技術と経験のある審判を、欧州から呼んででも起用すべきだ。
スキルがないのはしょうがないとして、不公平なのな、今日のシンガポールのアドガリ主審。
前半の遠藤へのレッドカードは、そう見えたとして100歩譲ったとしても、後半10分の玉田が倒されたシーンはアドバンテージが切れた直後にフリーキックの判定をするのが普通の審判だろう。
決勝の審判は誰だか知らないが大丈夫なんだろうな、心配だ。

さて今大会、MFやDFが殆どの点を取っているように、点が取れない課題のFW。
だが、良い面も見受けられた。
鈴木は、今日のステータスは最悪だったし決定力も欠けるとはいえ、運動量は見事。
玉田も、この試合まで再三良いプレイはしていたが結果には恵まれなかった。
ようやく結果を出したのは良かった。


今日の収穫
1.サントスのスピリットやボールの供給の精度は、欧州でも通用する。
2.中沢は、しばらく日本代表に固定。すごすぎ。DFとして初の海外組誕生か?
3.4バックと3バックがフレキシブルに変更可能だというオプションは、世界でも有数の技術がある。相手が3トップの時は4バック、2トップの時は3バックなど、相手の状況に併せて適切に対処できる。トルシエ監督時代に確立された3バックを引き継ぎ、自身の哲学でもある4バックも取り入れたジーコ監督の柔軟さに乾杯。

今日の課題
1.早い時間帯でのシュートの精度(特にFW)
2.早い時間帯でのシュートの精度(特にFW)
3.早い時間帯でのシュートの精度(特にFW)