2008年08月11日

サッカー日本代表の決定力不足の原因

北京五輪の男子サッカー米国代表戦を、見るつもりはなかったのに見てしまった。
フェアプレー賞常連の日本代表にしては荒いチームだなという印象以外は、結果も含めて概ね予想通りだった。
またもや決定力不足に泣いたが、なぜかという疑問に対する解が3つほど頭に浮かんだので、備忘録的に記述しておく。

1) バイタルエリアと、それ以外のエリアでの注力度合の変化が無い
米国サッカーの勝負強さが特筆に値するのは、シドニー五輪を見れば一目瞭然。
二度日本がリードしたにもかかわらず、追い付き、最後はPKで勝ち上がっていった。
テクニックも走力も特に著しいものはないが、意外にも最後に勝ってしまうことが多い。
それは、バイタルエリア外では力を抜き、いざというエリアにおいてのみ、力を注力するという習慣が教育されていることが、ひとつの要因と思う。
一方日本代表は、全てのレンジで真面目にボールの扱いをしてしまう。
従って、試合時間の終盤では集中力や体力が切れがちで、最後の最後で逆転という展開が少ない。
これは、サッカーだけに限らず、男女ハンドボールや女子バスケットボールの北京五輪最終予選において、概ね共通項として確認された、試合時間が厳密に決まっているチームスポーツにおける日本チーム特有の欠点である。

2) バイタルな時間帯と、それ以外の時間帯での注力度合の変化が無い
前述の項目と同様、どの時間帯も真面目に試合に向かう半面、バイタルな時間帯に注力しようという雰囲気はあまり見られない。
よく知られているように、前後半の開始終了の10分間は確率統計的にゴールが生まれやすい時間帯である。
従って、その時間帯に労力を注力し、それ以外の時間帯には積極的に手を抜くことが重要であるが、現状は則していないように見受けられる。
考えてみれば、日本発のスポーツは相撲も柔道も剣道も空手も、技が決まった時点で試合が終わるスポーツだし、日本で人気のある野球や競泳やバレーボールも目的を達した時点で試合が終わる。
よって、いずれも試合時間が固定されたスポーツでは無い。
試合時間が決まっているスポーツにおいて、積極的に力を抜くことに対して適切に評価することができない素地が、日本社会の背景にある気がしてならない。

3) 幼少期からのパス偏重教育
先日、小学生のクラブチームと思われるチームの練習を見学してみたが、パス回しの練習に終始していたのが印象的だった。
パスは練習しているだけあって、滅法上手い。
が半面、見学時間中にシュート練習を見ることはできなかった。
GKがGKの練習に大きな時間を割くように、FWはFWとしての練習に特化すべきだろうと思う。
そのように特化できない理由が現場の指導者にはあるのかもしれないが、現状の教育方針では決定力不足は解消されそうに無い。

投稿者 kazumichi at 21:48: [soccer]

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